吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

小池都知事はラウンドガールである

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感染者が増加傾向である

だんだと寒くなり、またコロナ感染者の数が増えているようだ。私が言うまでもなく、毎日テレビで報道されいるので日本人なら誰でも把握している事実だろう。毎日毎日ニュースで「本日の感染者数」を報道するので、私の中では天気予報の「明日の気温」と同列の扱いになりつつある。

感染者増加傾向なので、コロナの報道時間や頻度も比例して増加傾向にある。ということは、あのコロナの女王の露出も増加するということになる。
いや、コロナの女王というより「コロナの女帝」のほうが時勢に合っているかもしれない。

さて、小池都知事である。夏場はテレビで見かける機会も減っていた気がするが、最近は春から初夏にかけての勢いを取り戻しつつある。

「何の勢いだよ?」

そのような声も聞こえてきそうだ。それはそうだろう。
テレビで感染者数を発表するだけの簡単なお仕事に見えるからだ。

しかし、それは都政を知らない無知な民間人の感想である。我々に見えないところで忙しく働いているはずだ。何といっても、スーパークレイジーくんやN国メンバーなどの難敵を抑え、見事に都知事再選を果たしたのだ。小池都知事のリーダーシップに疑いの余地は無い。

また、効果が不明とはいえ、感染防止に尽力している雰囲気は作れている気がする。たとえばレインボーブリッジと都庁のライトアップだ。「感染防止徹底宣言ステッカー」だってある。

www.metro.tokyo.lg.jp

この際、感染防止に効果があったかどうかは大した問題ではない。重要なことは小池都知事は「特に何もしていないのに常に舞台に立っている」という事実である。

小池百合子ラウンドガールである

特に協議には関与していないのに、試合では必ずリングという舞台に上がる人間。そんな奴がいるのか?という疑問を持たれた方はボクシングや総合格闘技の試合を思い出していただきたい。

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選手でもなく、レフリーでもない。試合自体には全く関与しないのにリングに上がり、観衆の注目を浴びる存在。

ラウンドガールである。

ラウンドガールとは、ボクシングやキックボクシング、総合格闘技などの格闘技興行において、ラウンド間に会場に向けて次のラウンド数を表示する役割を担う女性。

ラウンドガール - Wikipedia

 
小池都知事ラウンドガールの共通点は多い。

何といってもパネルで状況を示す表現方法だ。

今日の感染者や都の方針などをパネルを使い、テレビというリングから都民という観戦者に伝えるスタイルはリングガールそのものだと言えるだろう。
偶然にも「感染者」と「観戦者」の発音が一致している点も興味深い。

次に、実際に現場でコロナ対応の追われている医療従事者や自粛の影響が大きい飲食店業界の当事者ではない。あくまでも状況を伝えることが仕事である点もラウンドガール的だと言えるだろう。


コロナの影響で商店街はシャッターの降りた店舗も増えている。初夏の頃はパネルをかざす業務に集中していた都知事だが、この冬は当事者としてリングに立つのだろうか。

私が心配しても何も変わらない気もするが、どうにもならないことを悩み続けるのが私の性(さが)なのだ。

やはり今日も悩みはつきないのであった。

中年もFaceBook離れしてる気がする

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まさか私がFacebook離れとは

そういえば最近はFacebookを開くことが少なくなった。以前は一日に10回はアクセスしていたのだが、ここ一か月で2、3回といったところだろうか。

若年層はインスタグラムが主戦場で「Facebook=おっさんのプラットフォーム」扱いになっていることは知っていたのだが、まさか自分も「Facebook離れ」の一員に加わるとは想像していなかった。

思えばコロナでの自粛を境にFacebook離れしてしまった気がする。

自粛がきっかけに

自粛期間から始まったリモートワークは延々と続き、最後は勤務形態と正式に導入された。それまでとは全く違うライフスタイルは生活圏を変え、日常的に顔を合わせる人間の種類も変えた。簡単にまとめると、家族とのコミュニケーションの割合が増加し、仕事上の関係者との割合が減ったのだ。

それまでFaceBookで繋がった人といえば会社の同僚や取引先の人々が主だった。生活のメインの場が仕事絡みだったのだ。
今になって考えてみると、自分のリソース配分比率で人間関係の重みづけをしていたふしがある。我ながら貧相な感性だと思うが、正直Facebookに興味が無くなってしまったのだ。

家族中心の生活に

リモートワークの生活になり、そのリソース配分は家族に充てられるようになった。その結果、Facebookを閲覧したり自分の行動を投稿する時間が減り、家族と話したり食事をともにする時間が増えたのだ。

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コロナは様々な生活様式を変えたが、おっさんの主要プラットフォームも変えてしまったのである。ネット上での交友関係より家族の方が大事、というようなアットホームな話がしたいわけではないが、家族という関係を見直す契機になったとは思う。

とは言え、家族以外のネットワークが不要になったわけでもないので、何かの形でつながっていたいとは思うのだが面倒くさい。この面倒くささをどう解決すれば良いのだろうか…

うーん悩んでしまう。
今日も悩みはつきないのであった。

「傾聴」はカラオケの手拍子である



今では悠々自適に窓際で働く私だが、10年ほど管理職だったことがある。
当時は、旧来の部下を管理するという考え方から、自分で考えて動く社員を育てる方向へシフトしつつある時期であり、コーチングや1on1(週一回の部下との個人面談)が普及しつつあった。そんなわけで、私の勤め先でも流行りのコーチングを導入していたのであった。

コーチングの基本は「傾聴」だ。とにかく相手の話を聞くことがコミュニケーションの大前提なのだ。

傾聴の目的は相手を理解すること。
そのため、大事なのは、
●話す姿勢、仕草、表情、声の調子など言葉以外の行動に注意を向け、理解する
●言葉によるメッセージに、耳を傾け、理解する
●言葉の背後にある感情まで受け止め、共感を示す

傾聴とはなんですか?(人事労務Q&A)|人事、採用、労務の情報ならエン人事のミカタ


管理職向けのコーチング研修でも 同じことを教わった。
「あなたの話を聞いてますよー」という姿勢を分かりやすく示すことで、心理的安全性を高めて話しやすい空気を醸成するのだ。

ということで、研修で教わったように相手の話を真摯に聞き続けるわけだが、ただ聞いているだけではいけない。相手が話しやすいように相づち等を織り交ぜる技術が必要になるのだ。

しかし、それまでの人生で聞き上手になろうと意識したことが無いので、私のリアクションは何ともぎこちない。中年男性の首振り人形(等身大サイズ)の完成である。

簡単なようで奥が深い。それが傾聴なのだ。

そんなわけで、傾聴というものが感覚的につかめないまま時は過ぎたのであった。


「傾聴」はカラオケの手拍子

長年の私の疑問が解決されたのは、たまたま読んだ一冊の本だった。内容は少年サッカーでの選手育成の本である。

「日本のメッシの育て方」
上野山信之:著


その中で述べられた一言が「傾聴」はカラオケの手拍子である。
まさに言い得て妙!である。

たしかに良い感じの手拍子があると歌いやすい。その空間の中で自分が肯定されているような気分になる。あくまでも主役はマイクを握っている自分だが、自分を主役たらしめているのは聞き手であり、手拍子は肯定のサインとして機能しているのだ。

管理職の頃は難しく考え過ぎて、傾聴の時の反応の出し方に迷いがあった。しかし、カラオケの手拍子だと思えば自然なタイミングで頷けそうである。

というわけで今日もまた悩みはつきないのであった。
とかくこの世は悩みだらけである。