吾輩は悩むのが趣味である

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出社したら筋肉痛になった。。

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コロナの影響で

リモートワークに移行してから半年がたとうとしている。当初は一か月程度でコロナ騒ぎも収まるだろう、との楽観的な展望だったものの、結果的には社会構造が変わるほどの影響を残したわけである。

その一つが勤務形態だ。
それまでは毎日のように駅まで歩き、電車に乗り、オフィスの中を歩き回り、昼休みにはランチをし、また電車で帰るという移動を行っていたのだ。その頃は意識していなかったが、日々の運動が身体に与える負荷は想定以上のものであり、その負荷が体力維持の効果も生んでいたのだと今なら理解できる。

そういうわけで三か月ほど前からランニングを開始した。当初は500メートルで失神しそうになるほどの貧弱ボディーだったのが、今では3キロ突破できるほどに成長した。なんならリモートワーク前の自分を超えたと自負していたくらいである。自分史上最高の体力とでも言えばいいだろうか。

三カ月ぶりに出社してみた

さて、三カ月ぶりに出社するため徒歩&電車での移動を敢行したわけである。「昔のおれではない」そんな自信をみなぎらせ、余裕をかまして久しぶりの通勤だ。今や3キロ走れる男である。広い意味でのアスリートと言えなくもないだろう。改造されたボディーはサラリーマンの日常業務くらいでは消費されないのだ。一日移動していても体力のお釣りが出るはずである。何といっても3キロ走れるのだよ。

そんな思いを胸に、肩で風を切って出勤したわけだ。そして予定の業務を遂行し、肩で夜の風を切って帰宅したのである。
しかし、翌朝目覚めると身体が痛い。特に足だ。

「これは、、筋肉痛?」

なぜ?なぜ?
まさに「なぜ?の嵐(by吉沢秋絵)」である。
なんで歩いただけで筋肉痛になるのか。走っても筋肉痛にならないのに、なぜ歩いて筋肉痛のなるの?
まさに人体の不思議。

どうも身体というものは、意識的に使う場合と無意識に使う場合で疲労度が異なるらしい。つまり日々のルーティンに折り込まれている「通勤」のような運動は、想定より疲労度が高い、という仮説が成り立つのではないか。
「意図していない活動(負荷)」だからこそ、知らないうちに疲労が蓄積し、気が付いた時には疲れている、というストーリーである。

ああ、日々の営みの中で私の身体が蝕まれていく。
不安である。
意図しない軽い負荷が不安なのである。