吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

あだ名は「いじめ」につながるのだろうか

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あだ名禁止の風潮

最近はあだ名禁止の小学校があるらしい。いじめにつながる可能性があるから、とのことだ。「何とも生きづらい世の中になったものだなぁー」などと、私自身が小学生の子どもを持つ身ながら他人事のように考えていたところ、ふと記憶の中のある出来事がよみがえったのである。

私は会社で新卒教育的な業務を担当している。いわゆるOJT研修といえばイメージしやすいだろうか。その年の新卒入社者に配属部門のルールやら業務内容やらを学んでもらい、本番への準備を整えてもらうわけだ。例年、10人弱を対象に一週間ほどのカリキュラムを組んでいる。初対面の人間同士で一週間の研修を受けるわけなので、やはり人間関係は重要だろう。昭和の洗礼を受けている私としては、新卒の趣味やら出身地やらに軽く突っ込んで関係を温めることが多かったのだ。
しかし、ある年の研修のことである。

私「●●くんの趣味は~なんだね」
●●くん「いじるのはやめてください」


と、明確な意思表示をされたのだ。
私も大人である。その時は「ああ、このヤングは生真面目なのだな」と、個人の資質の問題だと結論づけて深追いするのは避けることにした。全員が同じ職種で同様の雰囲気を醸し出していたこともあり、その年は昭和ノリのコミュニケーションスタイルはやめ、敢えて事務的な接し方を心掛けたのであった。
「男子はいじったほうが仲良くなれる」という法則は、私の思い込みであったことを思い知らされたエピソードである。

あだ名とは「人間関係のドーピング」である

あだ名は距離感を急速に近づける「人間関係のドーピング」的な効果が得られる。あだ名はその人の過去の背景や社会的な属性をすっ飛ばして、あだ名で呼ばれる共同体(コミュニティー)の中のキャラクターとして認識される呪文なのだ。手っ取り早く仲良くなるためには有効な手法であろう。

ただし問題はある。「あだ名」は基本的に自分以外の他者の脳内で喚起されたイメージをもとに決定される。例えば、太っている子に対して「横綱」、老け顔の子に「社長」といった身体的な特徴を表す名称を「本人以外の他者」が付与する。本人がそのあだ名を承認すれば問題ないが、多くの場合は本人の意志とは関係なく共同体の中で共有され、定着していくのである。勝手に納得のいかないブランディングをされた人間にとってはたまったものではないだろう。

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そういった共同体の中のトラブルを解決するために最も手っ取り早いのが「一律禁止」である。昨今の小学校の状況を噂レベルで耳にした限りでは、モンスターペアレントの対応やら長時間労働でのリソース不足やらで子ども一人ひとりへの個別対応は不可能だろう。私でも想像はつく。

とかくに人の世は住みにくい

あだ名を付ければ角(かど)が立つ。禁止を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
とかく生きづらい世の中ではある。
今日も悩みは尽きない。
そして私の趣味はエンドレスで続くのである。