ご褒美までの4ステップ
今週のお題「自分にご褒美」
中年の家庭持ちに金銭的な余裕は無い。いわゆる「可処分所得」の額で言うならば、実家暮らしの新卒女子より低いだろう。要するに金なら無いのである。
これだけ景気の悪いと街には金が無いおっさんばかりなわけで、なんだかマジョリティーの一員になれたような安堵の気持ちも沸いてくる。
そのような経済状況なので「ご褒美」と言ってもインスタ女子のように洒落たレストランに行けるはずもなく、会社帰りに発泡酒の一本でも購入するのが関の山である。
日々の発泡酒も「自分へのねぎらい」にはなるが、ご褒美かと問われれば何だか違和感を感じてしまう。あらためて「ご褒美とは何か」と自分自身に問うてみたが、そんなことを考えたこともなかった。この機会にあらためて考える必要がありそうだ。
というわけで例のごとく語意を調べてみた。
あらためてご褒美について考える
ほめて与える金品。褒賞。
褒美には二段階のアクションが必須のようである。作法のようなものか。
①ほめる
②与える
①の作法の後、②で与えるものが褒美と呼ぶことを許されるのだ。
となると、黙って飲む発泡酒は褒美の定義から外れることになる。まずは自分で自分を褒めなければならないのである。寡黙に飲むのはただの飲酒ということだ。
そこまで思考が進んだところで、はたと思い当たることが。
褒めるって何だろう?
漠然と「よくやった」とポジティブな言葉を投げかけれる行為だと思い込んでいたのだが、果たしてそうなのだろうか。ムクムクと疑念が沸いてくる。
こちらも念のために調べておこう。
人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。
人のしたことを評価し、そのことを言う、らしい。
つまり「褒める」という行為は評価者として客観的な評価をくだし、その結果ポジティブな場合のみ言語化して、対象者にその旨を伝えるという意味が含まれているのだ。
なるほど。褒めるために高度なメタ認知スキルが必須となるわけだ。
ご褒美までの4ステップ
「自分へのご褒美」を与えたい場合は、まず自分自身を客観的に評価するところがスタート地点となる。
①自分自身を客観評価
②a ポジティブな場合 ⇒③へ進む
②b ネガティブな場合 ⇒終了
③評価内容の言語化
④自分自身へ自分自身の下した評価を伝える
以上の4ステップをクリアして、その先に初めて「ご褒美」がおぼろげに見えてくるのだ。
何だか自分へご褒美をあげるだけでもなかなかの労力が必要のようだ。ご褒美をあげたことに対し、ご褒美をあげたくなる。
発泡酒が「ねぎらい」から「ご褒美」へ昇格するのはまだまだ時間がかかりそうだ。
今宵も悩みは尽きないのである。