悩む余裕がある毎日に感謝
今週のお題「感謝したいこと」
齢50にもなると、日々が当たり前のように続くことに感謝するようになる。
変わらないことって、その状態を誰かが維持しているわけだ。
電車が時刻表通りに運行している。
コンビニの棚は24時間、商品で埋まっている。
病気になれば病院が受け入れてくれる。
つまりインフラの整備である。
若い頃は「そんなの当たり前だろ」と思っていたのだが、数度の災害やら今年の自粛騒ぎやらで、自分の中の「当たり前」は世情の都合でいとも簡単に瓦解するのだと思い知らされること数回。2020年はその瓦解がアップデートされた年であった。
店頭からマスクが消え、トイレットペーパーは奪い合いになり、繁華街はゴーストタウン化し、会議はZoom。電車の利用は劇的に減少し、JALやANAやJRが経営難に陥るかもしれない現実。
そんな2020年は自粛の記憶しかない。
当たり前が当たり前ではなくなった時代に子供の自殺が増えているようだ。
パリのニュースだが、おそらく日本でも似たような状況が起きているだろう。
自分自身が子の親という立場である。当たり前のように子供は自分より長く生きものだと思っていた。しかし、マスクやトイレットペーパーが枯渇した世界が現実化したように、親より先に子供がいなくなる世界もあり得るのである。
そんなことを考えていると、重箱の隅をつつく毎日を送れていることに感謝するしかない。頑丈な日常の土台があるから些末なことで頭がいっぱいになる。当たり前のように今日と同じ明日が続くと信じているからこそ、悩む余裕が生まれるのだ。
悩めるというのは贅沢な状況なのかもしれない。
というわけで本日も悩みは尽きないが、ありがたいことでもある。