一日の区切りをつける儀式
ランニングを始めてから4か月が経過した。あんなに嫌だった「走る」という行為が習慣になるとは、自分で自分が信じられない。
特に誰かに指示されたわけでもなく、何か報酬がもらえるわけでもない。取り立ててメリットと呼べるものは何もないのに続いているわけだが、走り始めるにあたっての一応の理由はあったのだ。
2020年は自粛と猛暑で気が滅入る夏を過ごした人も多いだろう。かく言う私も同様であった。摂氏40度近い木造一軒家の中で24時間すごす毎日。仕事を終えて就寝し、翌朝目覚めても同じ空間で同じ作業が続くネバーエンディングストーリーである。
もう無理だ。。
何かしなければメンタルが維持できない。とはいえ出かける先も限られているし、オフィスに行っても誰もいない。
どうすれば気分転換できるのか。。
と、その時に思いついたのがランニングである。
昔、気の迷いで購入したランニングシューズが残っていたし、夏なので半パンとTシャツで何とかなるだろう。走り方は良く分からないが、とにかく気分を切り替えたい。
終わりの無い毎日に、せめて一日ごとの区切りをつけたい!
当時の私の切実な思いがランニングのきっかけであり、その理由は仕事とプライベートの区切りが必要だったことだ。それまでは「通勤」がその機能を果たしていたわけだが、自粛期間中のリモートワーク下では自力で切り替えるほか方法が無かったのである。
通勤に代わる生活の境界線、それが私にとっての夕方のランニングだったのだ。
忘れかけていたあの頃の気持ちを思い出させる記事がこちらである。
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一日の区切りをつける儀式のような行為。それを上手く言語化できないまま時間が過ぎていたのだが、やっとしっくり来る言葉を見つけることができた。
フェイク通勤。
靴の中の小石が取れたようなスッキリ感。
休みの日も走っているが、それはただのランニングである。