吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

ピザはアメリカ料理である

今週のお題「ピザ」

f:id:worker_gentle:20201121212209p:plain

 突然だがピザはアメリカ料理である。
ヤングからの異論が聞こえてくるが、今の50代以上にとってはアメリカ料理なのだから仕方がない。
我らがWikipediaも同じ見解だ。

基本的に、ピザはイタリア風・アメリカ風の二種類があり、イタリア風ピザをピッツァといい、アメリカ風ピザをピザということもある。

ピザ - Wikipedia

 
「いやいやそんなの言い方が少し違うだけじゃん」とヤングは言いそうだが、中高年にとっては発音の問題ではない。日本の食文化の歴史の問題なのだ。中高年が初めて接したのは「ピッツァ」ではなく「ピザ」だったのだ。

シェーキーズがやって来た

それまでにもピザ屋は存在していたとは思うが、多くの日本人が初めて接したのは「シェーキーズ」だろう。厚いパン生地に具をトッピング。そして何故かバイキング形式の店内、何故かディキシーランド・ジャズが流れる店内。
子供だった私にアメリカとイタリアの違いが理解できるわけもなく、ただただ欧米のお洒落な食べ物だと思うばかりであった。
ある意味、洗脳である。

シェーキーズShakey's)は、アメリカ合衆国発祥のピッツェリアチェーンである。ブランドメッセージは"We Serve Fun."。

シェーキーズ - Wikipedia

 
しかし、シェーキーズはまだ序章であった。本格的な洗脳はハリウッド映画の姿をしてやって来たのだ。

ハリウッド映画がやって来た

 E.T.である。



1982年にアメリカで大ヒットしたSF映画だが、日本でも大ヒット。映画の中では小学生の主人公のライフスタイルがリアルに描かれていた。郊外の住宅地、MTX自転車、スウェットパーカーの少年たち、などなど。現在のヤングにとっては当たり前の風景・グッズだろうが、1982年の地方の小学生にとっては、豊かで自由でカッコいいアメリカの姿がそこにあったのだ。

そして映画の中で少年たちがピザの出前を取るのである。
親に連れてってもらうシェーキーズとは違うピザがそこにあった。
それが宅配のピザとの出会いであった。
本物のアメリカ人はシェーキーズには行かず、出前のピザを食べることを学んだ瞬間でもあった。

しかし、E.T.宅配ピザに大きな衝撃を受けたのは私だけではなかった。
ピザーラの創業者である。

shuchi.php.co.jp


1987年、東京都目白にピザーラ1号店をオープン。1997年、売上高・店舗数ともに業界1位となる快進撃。日本にピザ文化を定着させたと言っても過言ではないだろう。

アメリカ映画のアメリカ風ピザにインスピレーションを得て、アメリカスタイルの宅配ピザ屋を起業し、日本中に広げたのだ。


ピザはアメリカ料理だと主張しても違和感は無い!はずだ。

イタリア人も同意してくれると思うのだ。アメリカのピザとイタリアのピッツァは別の味わいがある料理だと。


今日も重箱の隅をつついてしまった。
やはり悩みはつきないのであった。


ガキの使い「笑ってはいけない」は現代の禊(みそぎ)である

f:id:worker_gentle:20201119202549p:plain


絶対に笑ってはいけない

少し気が早いかもしれないが、年末の話である。
コロナのおかげですっかり忘れていたが、年末の特番で不祥事芸人の復帰する話が出ているようだ。公共施設の新しい使い方を示したことで派手なインパクトを残したので、記憶している人も多いだろう。
一般人も自粛していたが、彼もまた自粛していたのだ。
自粛の理由は異なるが。
news.yahoo.co.jp


記事によると、大晦日の風物詩となった『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』の年越し特番“絶対に笑ってはいけない”を「禊(みそぎ)」にして、メディアへ復帰するのではないかとのことだ。

気になるではないか。
個人的には件の芸人の所業には興味がない。私のお悩みセンサーに引っかかったのは

「禊」

である。

禊(みそぎ)とは

み‐そぎ【×禊】
1 身に罪や穢(けが)れのある者、また神事に従事しようとする者が、川や海の水でからだを洗い清めること。

2 陰暦6月晦日(みそか)、諸社で行う夏越(なごし)の祓(はらえ)の行事。《季 夏》

禊(ミソギ)の意味や使い方 Weblio辞書

 

禊には二通りの方法があるらしい。

一つは、洗うことで穢れが落ちて身体が綺麗になる方法だ。身体を洗ったついでに精神面もスッキリする。ちょっと強引ではあるが、まあまあメタファーとして理解できるロジックである。

問題は二つ目である。イベントに参加することで精神的な汚れが落ちるらしい。そこには「洗う」ことのメタファーは無いようだ。テンションが上がって嫌なことを忘れられるということか。

f:id:worker_gentle:20201119202720p:plain



ロジック的には理解が難しいが、ノリの良さでウヤムヤにしてしまえ、という思考の流れは分かる気がする。

理屈は微妙だが、事実として禊イベントは歴史的に続いてるわけだ。
禊は晦日に行われる。晦日とは毎月の最終日のこと。ならば大晦日に行われるイベントを禊とするのは日本古来の文化にそっていることになる。

これまでも「絶対に笑ってはいけない」は禊イベントとして、数々の不祥事芸能人の復帰の場として機能してきた。私自身、大晦日に視聴して笑っていた当事者でもある。

なぜに特番でネタを披露すると「社会的な許可」を得たことになるのか。いまだに良く理解できないが、気分としては「復帰OK」という気持ちになるから不思議である。

そういうわけで2020年の大晦日もまた、テレビで禊イベントを観ることになるのだろう。

f:id:worker_gentle:20201119202942p:plain


令和の時代に、テレビのお笑い番組民俗学を感じるとは想定外だったが、日本古来の文化は姿形を変えながら連綿と続いているのだなぁ、などと物思いにふける初秋の夜であった。

 

「お相撲さん」とかけて「鍋」ととく。その心は?

今週のお題「鍋」

 

f:id:worker_gentle:20201115202915p:plainf:id:worker_gentle:20201115203215p:plain

お相撲さんとは

「お相撲さん」という言葉がある。
日本人の多くが当たり前のように「お相撲さん=相撲取り」だと理解できるが、よくよく考えたらおかしな話だ。なぜなら「相撲」は競技の名称であるからだ。

私は相撲以外に「競技名+さん」で選手を表す競技を知らない。野球選手を「野球さん」とは言わないし、サッカー選手を「サッカーさん」とも言わない。ボクシングさんとかレスリングさんも聞いたことがない。
我々が慣れ親しんだ「お相撲さん」という言葉は非常に特殊な表現なのだ。


さて、「鍋」の話である

「鍋」と「お相撲さん」。一見なんの関連も無さそうだが、実は共通点がある。それは「ハイコンテクスト文化」という言葉で説明できるかもしれない。

コンテクストとは文脈という意味だが、話し手と聞き手との間の文化的背景・文脈の共通性が高いのがハイコンテクストの文化、低いのがローコンテクストの文化ということになる。

日本人が「黙って忖度」ばかりする根本原因 | 「コミュ力」は鍛えられる! | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

参照元の記事にもあるように、日本はハイコンテクスト文化と言われている。
話し手と聞き手との間の文化的背景・文脈の共通性が高いため、前提を確認しなくても話の意図が伝わるのだ。

シンプルに名詞として考えた場合、「鍋」とは食器のことである。

食器(しょっき)とは、食事に用いる容器や器具の総称で、容器については単に(うつわ)と呼ぶ場合もある。

食器 - Wikipedia

鍋はあくまでも食器であり、料理の名称ではない。
しかし日本人には「鍋」が料理の名称だと理解できる。鍋だけではない。日本では「椀」「串」などの食器名が料理を示す例がある。

f:id:worker_gentle:20201115203343p:plain

一方で外国の料理はどうだろう。私の知っている範囲で「皿」や「ナイフ」という料理名は見当たらない。 皿は皿でしかない、ナイフはナイフでしかない。

固有名詞の正確性を考慮すると、そっちの考え方のほうが正しい気もするが、うちの国では「鍋を使って食卓上で作る煮物料理」を「鍋」と表現する慣例があり、鍋という食器を食べるわけでは無いのである。

鍋 - Wikipedia

「鍋を食べると言っても、食器の鍋を食べるわけではない」と書いてると、何だか頭の悪いおっさんのブログみたいになっているが、ハイコンテクスト文化では共有されている言葉を敢えて解説すると馬鹿みたいに見えるらしい。

普通の日本人に「お相撲さんは人間ですよ」と説明したら「なに言ってるの、当たり前だろ、馬鹿なの?」と言われるだろう。

まったく鍋料理と関係のない話を続けて申し訳ないが、なにせ私は重箱の隅をつつく男。「なぜに食器名が料理を表すのか?」と、気になったら止まらない性分なのである。ゆえに悩みが止まらない。

 

やはり今日も悩みはつきないのであった。