吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

就職は「個人の能力」より「業界選択」

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コロナ自粛による経済の悪化が顕在化してきたようである。
コロナ罹患もよろしくないが、かといって家から出ないことで世の経済が止まってしまうのもよろしくない。あっちを抑えればこっちから飛び出る。コロナ自粛はもぐらたたきの様相を呈してきた。news.yahoo.co.jp


GO TO TRAVEL で注目の旅行業だが、国内大手のANAがリストラを開始するところまで追い込まれていてる。大手代理店のJTBも6500人の人員削減を進めようとしている。

時短要請で飲食業はガタガタである。このままでは商店街がシャッター街になる。

www.jiji.comnews.yahoo.co.jp


業績悪化の業界と業績好調な業界

コロナを予見できていた人間はいない。完全にもらい事故というか、悲運である。
外出自粛で世の企業の業績は右肩下がりだが、一方で巣ごもり需要の影響で業績が伸びている業界も存在する。

さて、ここからが本日の本題だ。
一方の業界で働く人々と、もう一方の人々に能力の差はあるのだろうか。

専門スキルの違いはあれど、個々人のベースの能力に大きな違いは無いだろう。旅行業でキャリアを積んだ人間が、もしITを選択していればそれなりの実績を積んでいただろう。飲食店経営で成功している経営者が、もしIT企業を選択してキャリアを積んでいれば、やはりそれなりに成功していたのだと思う。優秀な人間はどの環境でもそれなりに成果を上げ、評価されるようになるはずだ。

しかし現実には国内有数の大手企業でさえリストラが進んでいる。その中には突出してはいないがそれなりに優秀な人間も含まれていると推測できる。彼らが厳しい状況に立たされている理由は何だろう。本人の能力不足だろうか。それとも他の要因があるのだろうか。

 

世の理不尽とは

世間にはいろいろな理不尽が存在する。

生まれた家で将来が左右される理不尽。
容貌の美醜で環境が左右される理不尽。
学歴で新卒の就職が左右される理不尽。

他にも様々な理不尽があるだろう。

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さて、職業選択で将来が左右されるのも理不尽なのだろうか。
2020年の労働者は選択した進路によって全く異なる状況に立っている。

私は20数年前にたまたまホームページを作る仕事に就き、目の前の仕事ををこなしていたら何時の間にかWEB業界が発展し、気が付けばIT業界でのキャリアを積んでいたわけだ。2020年にこんなことが起きるとは夢にも思わず、20数年前に大手百貨店やら大手旅行代理店に就職していった友人たちを横目にHPを作っていたのである。

今回のコロナ禍の影響は、業界によって度合いが異なることが分かってきた。悪影響の度合いだけではなく、逆に好影響で業績が伸びている企業も少なくない。
IT業界、EC、ゲームなど自宅で楽しめるコンテンツを提供できる業界には追い風が吹いたとも言える状況である。

コロナで大きなダメージを受けた業界に身を置いている友人たちも少なくない。彼らの境遇を思うと忍びない。一方で私自身の境遇は順調だ。経済的な不安は全くない。

私と彼らの違いは何だろうと考えることがある。能力だろうか、努力の差なのだろうか。

いや違う。

ただただ伸びしろの大きい業界に身を置いていた。それだけなのだ。

個人の努力とは別の要素が大きいという意味では、職業選択もまた理不尽なのだろ。

 

悩む余裕がある毎日に感謝

今週のお題「感謝したいこと」

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齢50にもなると、日々が当たり前のように続くことに感謝するようになる。
変わらないことって、その状態を誰かが維持しているわけだ。

電車が時刻表通りに運行している。
コンビニの棚は24時間、商品で埋まっている。
病気になれば病院が受け入れてくれる。

つまりインフラの整備である。
若い頃は「そんなの当たり前だろ」と思っていたのだが、数度の災害やら今年の自粛騒ぎやらで、自分の中の「当たり前」は世情の都合でいとも簡単に瓦解するのだと思い知らされること数回。2020年はその瓦解がアップデートされた年であった。

店頭からマスクが消え、トイレットペーパーは奪い合いになり、繁華街はゴーストタウン化し、会議はZoom。電車の利用は劇的に減少し、JALANAやJRが経営難に陥るかもしれない現実。

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そんな2020年は自粛の記憶しかない。
当たり前が当たり前ではなくなった時代に子供の自殺が増えているようだ。
パリのニュースだが、おそらく日本でも似たような状況が起きているだろう。
自分自身が子の親という立場である。当たり前のように子供は自分より長く生きものだと思っていた。しかし、マスクやトイレットペーパーが枯渇した世界が現実化したように、親より先に子供がいなくなる世界もあり得るのである。

そんなことを考えていると、重箱の隅をつつく毎日を送れていることに感謝するしかない。頑丈な日常の土台があるから些末なことで頭がいっぱいになる。当たり前のように今日と同じ明日が続くと信じているからこそ、悩む余裕が生まれるのだ。

悩めるというのは贅沢な状況なのかもしれない。

というわけで本日も悩みは尽きないが、ありがたいことでもある。

オフィスがアウェイになる時

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11月に入ってからというもの、週に二回ペースで出社or外出が続いている。リモートワークに慣れたせいか、通勤からの出社というアクションがとても重く感じるようになった。心の乳酸菌が溜まる感じとでも言えばいいだろうか。

以前は当たり前のようにこなしていた日々の行動にもかかわらず、なぜにこれほどまえに面倒に感じるようになったのか。理由はいくつか思いつく。

・仕事開始までに時間がかかる。
・外出の準備にかかる労力がもったいない。
・物理的な移動で肉体的な負荷がかかる。

などなどだ。


人間の認知は変化に反応する

以前は意識すらしなかったことが、あるタイミングから急に気になるようになる。そんの経験を持っている人は多いだろう。これまでも繰り返していた行動なのに急に気づくのもおかしかろう、と考えるのが普通である。
しかし変わらず続けていたからこそ意識できないこともあるらしい。

精神科医 和田秀樹氏の著書『「損」を恐れるから失敗する』によると、人間の認知は変化に反応するそうだ。つまり、良い方向でも悪い方向でも動きがあれば認知できるが、動かないものは認知がしづらいのである。


標高の高く空気の薄い土地で暮らしているとその環境に慣れる。暑い土地で暮らしている感染が開く。人間の身体は環境に適応するようにできている。

ワールドカップ直前に、サッカー日本代表が高地キャンプや高温の環境でトレーニングするのは、アウェイの土地に身体を適応させるためだ。適応してないうちは空気の薄さや高い気温に抵抗を感じるだろうが、適応につれて意識しなくなる。元の環境から移って来た時に感じた変化は当たり前の環境となり、意識されなくなるのだろう。

変化を感じているうちはまだアウェイ、ホームになると意識しなくなる。変化が消滅した瞬間である。


オフィスがアウェイになる時

そう考えた場合、オフィスはホームなのかアウェイなのか。
毎日通勤していた時はホームだったと言えるだろう。起床し、身支度し、家を出て駅まで歩き、電車に乗ってオフィスに向かう。目が覚めてから自分のデスクに座るまで何十もの行程がある。しかしそれは意識されない。習慣化された行動は頭で考えずともオートマティックに遂行される。変化のない行動は脳に認知されず、疲労を意識することもない。

さて、リモートワークでの在宅が基本になった働き方だとどうなるか。職場はホームなのだろうか。

私の現在の働き方の中では、会社オフィスはアウェイになりつつある。少なくとも毎日通ういつもの場所ではない。必要がある時に予定を立てて向かう場所だ。文字通りホームとなった自宅から向かうアウェイがオフィスとなっているのである。

リモートワークで地方移住が進んでいるというニュースを見かけることが増えたが、一方で都心のマンションも高騰しているらしい。完全リモートワークでもない限り、出社をする必要はあるだろう。それが週一ペースなのか、月一ペースなのかは分からないが、遠ければ遠いほどアウェイ感は強まると推測できる。

そう考えると耐えられる範囲は自ずと限定されてくる。熱海あたりが限界なのかもしれない。

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とはいえ別荘を持てるなら多少のアウェイ感は気にならない。
気にはならないが、別荘を持つ資金も無い。
そんなわけで今日も悩みはつきないのであった。