吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

女性が年齢を言いたがらない気持ちが分かるようになった

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さて、50歳になってしまった

「なった」ではなく「なってしまった」という表現から、私が50歳という節目を喜んでいないことが分かると思う。

私は性別的には男性であり、自意識・アイデンティーティーも「男」という自覚が明確である。多くの男性がそうであるように、自身の年齢について負い目のようなネガティブな感情は持っていなかった。年齢はただの数字であり、人間性を表す要素ではない。まあ、分別がつく人生経験がある期間を生きてきてはいるので、多少は人格形成の要素は含まれているかもしれない。

男の場合、若い男ということでチヤホヤされるのは肉体労働のバイトで資材を担ぐ時くらいで、その他のシーンでは「若造」扱いされるデメリットの方が大きい。たとえば初対面なのに年下と分かった途端にマウント取ってくるパイセンとか、バーやらスカしたレストランで品定めするような視線を投げてくる店員とか。
まあ、そんな感じなので男にとって「若い」という要素が価値を持つのは「力仕事のリソース」が必要な現場くらいではないだろうか。

というわけで、私自身も年齢を重ねることにネガティブな意識はなかったのである。そんため女性陣の「女性に年齢をきくなんて失礼」とか「30歳を過ぎたら女はみんな同級生」的な言説には「奇妙なロジックを展開している一派」という印象を持っていた。要するに自分とは異なる思想団体だと。


50歳の線引き

が、50歳になった途端にある種の線引きを感じ始めて、「みんな同級生族」の気持ちを理解できるようになった。理解という言葉は傲慢からもしれない。何となく察することができるようになった、くらいが妥当か。

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50歳の朝、「ああ今日からオレも50歳か」と思ったら急に老け込んだ気がしてしまった。49歳までの「20代からの地続き」という感覚が薄れ、「初老の扉」が開いた感覚。電車に乗るとシルバーシートが気になる。墓石のCMを真面目に視てしまう。スーパーの駐車場で誘導しているおっさんに優しい言葉をかけたくなる。などなどの症状が現れ始めた。
「ああ、オレは無意識のうちに50歳を老人だと思ってたんだなぁ」などと自身の深層意識との出会いに物思いにふける。そして気づいたのだ。

エウレカ!(見つけたぞ)」

私の自己評価は、世の中の平均的な常識を持つジェントルメンだという認識である。その「平均的な常識」の男が感じることなら世の中の人々も感じているはずだ。50歳は初老、という一般常識。自分の人生が誰かの基準で区切られる違和感。なんか気分がわるいがその価値観に抗えない自分も存在している。なんといっても自分自身が「50歳は初老」だと思って生きてきたのだから。それが深層意識とはいえ。

するとどうなるかと言うと、他者に年齢を公開することがはばかられるようになる。「オレ50歳」とは言いづらい何かがある。その場にいる面々が20代や30代ばかりだと「オレ50歳」と言ったとたんに「遠慮という名の隔離」が始まる気がするのだ。隔離するヤングの気持ちとしては、パイセンへのリスペクトであり年長者を敬う儒教文化の名残りでもあり、正しい姿勢なのだろう。
が、隔離される側としては寂しいのである。生物としては50歳になった途端に機能が衰えるわけでもなく、人生の記憶は地続きで若いころの自分と現在の自分を明確に区切るラインも曖昧だ。グラデーションで老化したのだからしようがない。それなのに年齢を公開した途端に正体がバレたタヌキにようになるのではないか、という不安。うおー、これが「みんな同級生」になる心理プロセスなのか!

エウレカ!(見つけたぞ)」


というわけで、おっさんにも年齢を聞くな! 聞くなら覚悟を持って聞けよ!

以上、初老の扉からの報告でした。
扉の奥でみんなを待ってます。