吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

できれば走りたくなかった

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自粛期間が私を変えた

ランニングを始めて三か月が経とうとしている。
あれだけ嫌いだった「走る」という行為が続いているのも自粛期間と猛暑のせいだ。
リモートワークが導入されたのは良かったのだが、木造家屋の自宅で猛暑日の中、一日仕事するとストレスが溜まる。溜まったストレスを吐き出す場所も無い。外で飲み歩くほどの金もない。無い無いづくしで「NAI-NAI 16」の幻聴が聴こえてきた。ちなみにシンガーはシブがき隊である。

閑話休題
無い無いながらも人生を楽しみたい。だって初老だって人生を楽しむ権利はある。人はみな平等なはずだ。そういうわけで金のかからない遊びを検討してみた結果「ランニング」という結論に達した、という経緯なのだ。


わがままボディ―が走り出す

当初は500Mが限界だった私のわがままボディーだが、徐々に距離を伸ばしていき、今では毎日3キロの距離を走っている。自分の人生に3キロという走行距離が加算される日々が来ようとは。人生万事塞翁が馬とはこのことだ。いや、何か違うな。まあ予想外の未来が訪れたということだ。

ランニングの走行距離は一進一退の状況が続いていた。
昨日は4キロ、今日は3キロ、1キロ進んで1キロ下がる。人生はワンツーパンチ。まるで水前寺清子の歌のようだ。
どうも筋肉の負荷耐性には閾値が存在するようで、そこを超えると回復に要する時間を一日以上も要するらしい。自分の身体なのに「らしい」と表現せねばならないもどかしさよ。たとえば3キロの翌日に3.1キロだと翌日には前日と同じペースで走れる程度に回復しているが、4キロだと数日を要する。そのため数日間は低いペースを維持してランニングしなければならない。

大前提として、できれば走りたくない。ましてや「東京マラソン出場が目標です」とキラキラした目で宣言するようなランナーとは一線を画すスタンスである。猛暑&自粛で自宅勤務&金欠のコンボで鬱になりそうなメンタルをほぐすために仕方なく走るのだ。
人は何かを手に入れるためより、何かを回避するためのほうが行動を起こせるのかもしれない。