吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

優しさがスキルになる分野とは?

住宅地の獣

日曜日の朝である。
さて、今日は何について悩もうか。世界に難癖をつけることが私のミッションであり、カルマである。平和な日曜の朝、獲物を探すライオンのように「悩み」という名の獲物を探す。住宅地の獣(けだもの)。それが私である。
そんな百獣の獅子だが家庭内でのトラブルは望んでいない。獣の顔を隠し、リビングでテレビをつける。すると数名で走る半パンのヤングが映った。
どうやらマラソン大会のようである。

f:id:worker_gentle:20201101123926p:plain

私はランニングはするがマラソンという競技には疎く、世の中にどのような種類のマラソン大会が存在するのかよく知らない。もともと走るというアクション自体が嫌いだったのだから、競技に興味を持ったこともなかった。走るのが嫌いで寒さが苦手なのだ。冬に半パンで何十キロも走る人間の気持ちなど理解できるはずもなかった。

が、今朝は違う。
自粛期間中にジョギングを始めたことで、私の中で走ることへの関心が高まっていた。
画面にの隅に「全日本大学駅伝」と表示されている。
「駅伝だ」
若い男子しか走ってないと思ったら、大学駅伝であった。ちょうど画面中ではタスキの受け渡しが行われていた。それまで何キロも走って来たランナーが、苦しそうな表情でタスキを渡す。それを受け取る次のランナーの表情は緊張しているように見える。
「なぜそんな苦しい思いをして走るのか?」

f:id:worker_gentle:20201101103837p:plain

スポーツは他人ごと

画面には延々と変わりばえしないシーンが続く。サッカーのように攻守が入れ替わったり、ゴールが決まるわけでもない。タスキの受け渡し以外は走る動作が繰り返されるだけだ。おそらくゴールシーン以外はこんな感じなのだろう。エンターテイメントとしては娯楽要素が少ない。競技としても地味である。正直なところ、駅伝を観ている人の気持ちが理解できない。いや、できなかった。

今の私はどうだろう。見知らぬヤングが同じ動作を繰り返しているだけなのに、画面に見入ってしまう。ランナーの息づかいが聞こえてくる。呼吸の苦しさ、体温の上昇、勝利への思いが伝わってくるのだ。


優しさがスキルとなる

老化は何かを失う一方だと思いがちだが、逆に手に入れるものもある。それは「経験」という言葉で表現されるものだ。それまで情報として知っていたことでも、自身が経験することにより、それまでとは異なる気づきを得ることがある。

経験は想像力を作り出し、想像力は優しさにつながる。そして選手の背景を想像できるようになると応援したくなる。駅伝はある朝、いきなりランナーが走り出すわけではなく、スタートラインに立つまでの練習期間があり、準備期間にもドラマがあるのだ。

優しさがスキルとなる分野。それがスポーツ観戦なのだ。


風が強く吹いている

想像することで他人の気持ちが理解できるようになり、理解できるから悩むようになる。ゆえに「悩み」は人間的な成長の現れなのだと言えなくもないだろう。
また、自身の体験を補強するツールとして書籍も有効である。私の駅伝への想像力を豊かにしてくれたのは「風が強く吹いている」である。読んで良かったと思える一冊だ。


というわけで本日も悩みはつきないのであった。
とかくこの世は悩みだらけである。