吾輩は悩むのが趣味である

悩みが尽きない人々に読んでいただきたいのです

リモートワークで仕事とプライベートの境界線が消滅した話

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有給休暇のはずが…

私事で恐縮だが、今日は有給休暇である。週末と公休日の間の月曜日ということで、有給休暇を取って4連休にしたのだ。特に外出予定も無いので、自宅でゆっくり過ごす一日にしようと考えていた。
休日の朝、柔らかい日差しの中でコーヒーを飲みながらリラックスした時間を堪能していた矢先のことである。
穏やかな時間を打ち破って、会社携帯(というかスマホ)の画面に会社からの通知が表示された。「急ぎでお願いしたいことが~」。

マジか…。

破天荒な男であれば「有給休暇の日に仕事の連絡なんか知らんがな」と捨て置くこともできるのだろうが、言うまでもなく私は心配性である。何といっても「悩むのが趣味」と看板を掲げているほど心配性だ。憂鬱な気分でスマホのロックを解除し、問い合わせ内容をチェックするのであった。

PCを使う必要があったので、リモートワーク時に座っているいつもの定位置へと移動した。そして問い合わせ対応を始めてふと思った。

「これって、普通に勤務しているのと同じなのでは…」

いつもの場所でいつもの作業。状況だけ見れば勤務してる時と変わらない。数分たがわず同じ姿である。

「通勤が無い」というのがリモートワークの長所だが、裏返すと「職場で暮らしている」とも言える。

「これって住み込みの労働者じゃないのか…」

 

私の脳裏に「寮完備・社宅完備」の求人募集が浮かび上がる。ちなみに職種はパチンコ屋の店員である。

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毎日オフィスに通勤していた時は、自宅にいること自体が休暇とも言えた。オフィスと自宅で意識の置き所も違うし、何より物理的に存在する場所が異なっていた。おそらく私の深層意識も「働く空間」と「働かない空間」で自動的にモードを切り替えていたのだろう。気持ちの切り替えが下手な私でも、何割かはスリープモードになっていたのだと今では思う。

令和時代の旧くて新しい悩み

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国民の大部分が百姓だった時代は職住近接が当たり前だっただろう。自分の畑の近くに家も持ち、家族と暮らす。リモートワークは新しいように見えて農業が主産業だった時代に回帰したのかもしれない。
長い歴史の中では、国民の大多数が交通機関で移動して一箇所に集まって仕事していた期間の方が特殊な気もする。おそらく「住み込み」的な働き方のほうが自然に近いのだろう。

とはいえ、悩むのが趣味の私は休みの日も仕事が気になってしまう。何たる豆腐メンタルだろうか。「オフィスと自宅」「働く空間と働かない空間」という物理的な助けが無くなった今、有給休暇を休みとして過ごすのは己の意志次第である。自分を休ませるのは自分だけだ。
ゆっくり休むために己の弱さと戦うのだ!
いろいろ考えていたら疲れてきた。休むために自分の精神を鍛える必要があるなんて、何だか本末転倒である。

とはいえ、有給休暇中に働きたくない。休みたい。
やはり今日も悩みは尽きないのであった。